太極拳はすばらし健康法か?

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 20数年にわたり太極拳を研修し、普及活動にも参加してきた。この間、振り返ってみると、年齢と経験の度合によって、私の太極拳に対する認識もかなり変化してきたなと思う。
当初、若い頃は套路をたくさん覚えることに一生懸命で、そのこと自体に生きがいを感じていた。他人の分からないことを練習することに優越感さえ覚えたものである。また、武術的用法を見つけることがおもしろく多くの時間をもさいたものである。


 私が40代になった頃、中国武術の国際化が大きくとりあげられ、日本全国でもたくさんの太極拳や中国武術の表演会が開かれるようになった。競技会用の規定套路が短期間でたくさんつくられ、競技大会の日程や競技ルール、審判員試験などの記事が全国組織の会報に満載されるようになったのもこの頃である。元々表演という大きな流れに興味のない私は、年齢もかさんだせいか、それまでの用法探求よりも、太極拳の健康運動としての側面により関心がはらわれるようになった。これは、私自身が年をとったせいもあるが、当研究会の会員自体の平均年齢が高くなったせいでもあろうかと思う。


 さて、太極拳と他のスポーツとは、いったいどのような違いがあるのだろう。私は太極拳のほかに、水泳、スキーなどもけっこう楽しむが、どれも健康に良いと思う。とくに太極拳がとりたてて優れた点があるのであろうか、それを生理的に医学的に証明できるのであろうか、等というようなことを40代中ごろから考えるようになった。日本、中国から出版されている書物、雑誌などを漁ってみても、套路の紹介、動作の細かい点の追求、古典解釈、拳論、ある程度の武術用法などを述べているのがほとんどである。医学的、生理的なことを記載しているのは本当に少なく、あっても付け足し程度のものが多い。
その少ない貴重な書籍群より、石戸谷淳子コーチもお会いしたことのある上海の顧留馨先生の著作“どのように太極拳を練習するか”の中から一文を紹介しよう。

牡丹錦鶏図  任薫



「太極拳運動とは

. 神経系統の訓練である。
2.
 経絡、血管、リンパ管などの循環器の流れを 円滑にする。
3. 筋肉の収縮力をたかめ、全身の関節運動を鍛 練する。
4. 呼吸はリラックスな状態で綿々とつづけ、意 識は丹田に置く。

等という優れた特徴を持つ。
・・・・」


 これを検討してみると、経絡とか丹田とか中国医学独特の言葉は別にして、第2、3の項目はすべてのスポーツでもいえることではないのだろうか。また第1と4にしても剣道をはじめ日本古来の武術でも重要視されていることと思われる。だから太極拳は、穏やかにゆっくり動く特徴を持つので高年齢者にもできるスポーツであるという以外、他のスポーツと大した違いはなかろうと思っていた。頭の片隅ではその他にも何かは違うかも・・・と思ってはいたが確信を得ることはできなかった。その原因は医学的・生理的な資料が乏しいからである。
 ところが、昨年3月のはり・きゅうの学術講演会でおもしろい資料にめぐり会った。つぎにそれを紹介したいのだが、その前に認識を一致させるために、わが会で行なっている太極拳運動の特徴をもう一度見てみよう。


1.套路の反復練習では、動作をゆっくり行なう
2.下肢の運動量を大きくし、上肢の方は上肢に比べて少なく、不必要な力はいれない
3.練習時間は1〜2時間くらいで、リラックスな状態で行う


 その他、呼吸法、意識の持ち方、虚実の転換、丹田内転など、要求されることは多々あるが、今回はこれらのことを特に考えず、上記の1、2、3の項目のみを頭に入れて、下記の資料を見ていってほしい。
資料を作った方は、筑波医療技術短大理学療法学科教授・高橋憲一氏で、かれは「体力の向上こそが運動の大きな目的のである」とのべている。、おおまかな体力の定義を次のように紹介した。


筋力、持久力、協調性能力などに代表される行動力と各種のストレスにたえうる抵抗力とを合わせたものを向上させることこそが体力の向上ということである


 どうも定義というものは、理解しづらくできている。てっとりばやく言うと

――相撲力士や重量挙げ選手のように
筋力を鍛え、マラソン選手のように持久力を向上させ、体操選手のようにバランスや運動の正確性を高めること。その上、風邪への抵抗力、試合度胸などもつけさせること――

このようなことが、体力の向上ということになるらしい。当然、上記の要素すべてをマスターするようなスポーツなど存在しない。大抵のスポーツはこれらのどれかを重要視してトレーニングに励む。では、当会の太極拳運動はどれにあてはまるのであろうか。套路訓練の3項目から考えると、どうも下肢の筋力アップをめざし、持久力と協調性能力の向上に力を注いでいるように思える。

 高橋教授はつづけて、「持久力向上には循環器系と代謝系の能力の向上が不可欠だ」と説く。
運動をするのだから循環器系に影響があるのは当然だと体験的に私も思ってはいるが、どうしてかと一歩つっこまれて聞かれると、実際に解剖的、生理的な数値データに裏付けされたものがないのでその返答に困ってしまう。

教授の資料データをお借りして、@心臓の解剖的変化、A血液拍出量の変化を順に説明していくことにする。


@心臓の解剖的変化

 先ず心臓の解剖的所見から、左の模式図を見てほしい。真ん中が普通人の心臓とすると、スポーツ訓練をするとほとんどが左右1、2のどちらかの心臓に変化していくという。
 1の場合は内腔が広いために1度の心臓の収縮で多量の血液を身体におくることができる心臓である。
 2の場合は壁が厚いので強い力で押し出すことはできるが、1度に多量の血液は押し出せないし、高血圧になっている可能性も出てくる心臓である。
運動の訓練の仕方で心臓の肥大の様子は1もしくは2に分かれるという。では太極拳を楽しんでいるわれわれはどちらの心臓に変化するのであろうか?


 次の表1のデータは運動選手の平均心臓体積である

運動の種類 被験者数 平均体積 ml
A.普通人 67 790
B.レスラー・高飛び 30 782
C.水泳・テニス・サッカー 86 876
D.スキー・長距離・ランニング 66 932
E.競輪 18 1,104

表1


 平均体積の数値に注目すると、筋肉トレーニングを重要視するレスラーが意外なほどに体積の小さかったのに驚いたのではなかろうか一般人より低い結果は理解に苦しむところである。また下肢に持久力をつけるスポーツマンの心臓が大きいことにも驚いてしまう。すなわち、筋肉運動や瞬発力を鍛えるスポーツより、持久的に下肢を鍛えるものの方が心臓の発達にはよいことをあらわしている数値である。
 上の表の運動の種類をみると、太極拳の套路練習は、どうもD群に相応してるように思える。毎日、規則正しく上手に套路練習を楽しむと平均体積量932mlに近づく大きさの素晴らしい心臓を持つことになるらしい。


A血液拍出量の変化

 次に世界記録保持者の心臓の壁の厚さと血液の入る容量を見てみよう。次の表2が先に述べた「@心臓の解剖的変化」を具体的にあらわしている。

普通人 ランナー 砲丸投げ
左心室内径 mm 45 53 47
左心室容量 ml 101 153 122
1回拍出量 ml 65 154 68
左心室壁厚 mm 10.3 10.8 13.8
中隔壁厚 mm 10.3 10.9 13.5
左心室重量 g 211 283 348

表2
 この表2は、筋肉ムキムキマンの砲丸投げ選手と下肢を持久的に訓練するランニング選手、普通人達の心臓と拍出量を比べたものだ。残念ながら被験者数が発表されていない。


 @の結果からも想像できるように、心臓の壁が薄く、左心室の容積が大きく、1回の拍出量の多いのは、筋力と瞬発力を鍛えたものより、やはり@で述べたように持久力を鍛えたランナーのほうである。心臓の機能としては1回の拍出量の大きいものほど持久力があり優れているといえるのである。
 ついでだから心臓の拍出量と脈拍回数との関係を見てみよう。人は安静時1分間にどのくらいの血液を心臓から送り出しているかというと約5リットルくらいであるそうだ。運動時には30〜40リットルにも増加し、安静時の6〜8倍の血液を送り出さなければならなくなるという。では、心臓は1分間になんかい打てるであろうか。普通の方なら―


最大心拍数=220−年齢 という式で計算できる。

 当会の平均年齢の64歳なら156回くらい打てることになる。でもこの状態を長く継続させることは疲労が激しく実際上は不可能である。運動時に必要な30リットルの血液を調達するには、心拍数を少なくし、1回の拍出量が多くすることによってはじめて可能となる。このように大きい拍出量で運動を楽に持続できることが体力の向上ということになり、循環器の機能面から見ると、

拍出量の増加=体力向上 ということになる。

 これらの資料を見た時、太極拳はすばらしいと再度確信し非常にうれしくなったことを今でも覚えている。


でもこれだけでない。太極拳でよく教えられる「放松、放松」、すなわちリラックスしながら行動することが、また1回の拍出量をさらに押し上げることになるのである。
 すこし、むずかしいが“静脈還流量の亢進”という考え方がある。心臓の血液の出る量と入る量を比べてみると

出る量=入る量 である。

1回に65ccの排出量があったら同時に65ccが心臓にもどってこなくてはならぬということをいっている。
この心臓に戻る量は静脈緊張状態の有無に大いに関係する(静脈還流量)。
ここでもう一度「放松」を考えてみよう。 放松は身体の筋肉に不必要な緊張をとることである。筋肉の緊張とれると、その中を通っている静脈の血液のながれがスムーズになり、心臓へのもどる血量・静脈還流量が増える。すなわち上の式から、戻る量がふえると拍出量も自動的に上がることになる。

 また「放松」の状態で運動を行なうと末梢血管がたくさん開き、血液が身体のすみずみまで運ばれ、高血圧の改善にもつながるともいわれている。

残念ながら上記のすべてのデータ数値は、実際に太極拳運動をした方を調査してだした数値ではない。でも太極拳の運動形態を考慮すると容易に相応できるのデータ数値ではないかと思われる。今後、中国でも日本でもかまわないが、健康増進を目的に太極拳を楽しんでる方の心臓や身体の変化を実際に調べる人たちがあらわれることを期待する。


 まとめると、太極拳を長くやっていくと、心臓にも変化があらわれ、1度に心臓から出される血液量が多くなり、運動の持久力があがり、体力もおおいにつく。静脈還流量まで考慮するとその効果抜群である。年齢の高いものに最も適したスポーツの一つであるといえる。若い時からやっているともっとよい とういうことになろう。


 以上のことを昨年夏までにやっと書き終えたのに、昨年10月にNHKの人気番組「ためしてガッテン」で非常に興味の引く内容を放映したので、これについても触れないわけにいかないので、つづけて書くことにする。

 これまでウオーキング(歩行によるトレーニング)は身体によく、心肺機能の向上、中性脂肪値の減少、糖尿病予防、骨粗鬆症予防などに効果があり、運動の万能選手のようにとらえられてきた。しかし最近、ウオーキングだけでは大腿前面の筋肉をトーレニングするには不十分であり、寝たきり予防にはならないということが言われだした。大腿の筋肉を鍛えるには、膝を曲げ伸ばし繰り返すスクワットを中心とする2、3の運動が必要だと番組は強調していた。
 放送では実験に参加した15名のウオーキング愛好家の太股の筋肉を調べたところ、1/3の5名の方の筋肉の太さが標準値より落ちていた。70歳になると大腿の筋肉の断面積が若い頃の半分にまで落ちるという。
われわれの套路練習ではスクワット運動に近いことを何回もやらされる。練習が終った時には大腿の筋肉は鍛えられてパンパンに張っている。かなりのトレーニング量かと思われ、太極拳を行っているみなさまの大腿の筋肉の太さは十分でないかと推察する。
 以上のように太極拳をすると、心臓を中心とする循環器系統がよくなり、体力がつき、大腿が太くなって転びにくくなり、寝たきりの予防にもなるという。本当にすばらしい健康法運動である。


 読むのに疲れましたか?疲れついでに、元気の残っている方は下のグラフでも楽しんでください。拍出量・静脈還流量に関するものです。横軸の右心房圧とはもどってきた血液が心臓の壁をおす力で右に行くほど心臓が広がっている状態である。実線は交感神経の興奮度をあらわす線で、運動すると交感神経は当然興奮することをあらわしている。点線は静脈還流の線で、リラックスを求めない平常の時とリラックスを求めて静脈還流線を亢進させた時の2本が書かれている。

 まずA点は運動していない状態をあらわし、交感神経の興奮度は平常、静脈還流も平常であるということになる。B点はリラックスしないで運動した時の位置である。拍出量は縦軸の引き算で表される。縦軸のメモリをよむと6−5=1くらいである。リラックスしないで運動すると何もしない時より排出量は一分間に1リットルくらい増量したことになる。もしもリラックスさせて静脈還流を亢進させたらどうなるであろうか。AA点がリラックスはしているが運動をしていない時の基準点である。リラックスしているとしていない状態のA点より静脈還流量はすでに上がっており、縦軸のメモリは7くらいをさしている。そのうえ運動をするので交感神経の興奮度もあがりBB点の位置になる。縦軸のメモリは14である。14−7=7で心拍出量は1分間7リットルにもなる。リラックスして運動するのとリラックスしないで運動するのでは7倍の心拍出量の違いとなってあらわれる。
以上です。


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