はじめに
中国国家体育総局が主管する中国武術雑誌「中華武術」を購読してからかれこれ25年以上が経ちます。 2007年3月号の巻頭を飾ったのは恩師、中国武術段位九段、邱丕相老師の一文です。その渾身から振り絞られたような老師の発言に衝撃と感銘を覚え、皆様にぜひお伝えしなければとの恩いがこみ上げてきました。
 邱老師は函館太極拳研究会創立当初からのご縁をいただき、時には来函し、また時には訪中団で、短期留学でと、上海体育学院の絶大なる支持のもとに現在にいたるまで武術、太極拳、養生法を当会でご指導いただいています。ここにその全文を謹んで掲載いたします。(翻訳:沢谷 進)

『本文の作者、邱丕相教授は中国政府国務院学位委員会体育専科組成員・上海体育学院博士生導師・上海市政治協商会議委員・オリンピックアジア大会武術競技総審判長。本文は作者が2007年第16回上海市政治協商会議第5次会議上での発言である』。


 “武術の内包する文化と教育的機能を深く認識し、
大衆に武術を積極的に広める運動を展開しよう"
 


 本日の文化教育事業発展会議上での武術のテーマにはいくらか適合しないかもしれませんが、私は武術に深く関わるものの一人として、現在の武術の伝承と発展に対しとて深い憂慮を感じており、今日ここでこの機会をお借りして、政府指導者・委員の皆様に私の個人的な考えの一端を述べさせていただこうと思います。
そしてまた政府の指導者の皆様とこのように直接交流させていただくことは、とても喜ばしく私の気持ちは今とても高揚しています。 


 さて武術とは個人のものではなく、中国人民に属しているものです。多くの人々は武術に興味をもち、武術の命運に関心を持っています。ただし現在の武術は主に体育運動の形式で主導されており、人々は往々にして武術が遠い祖先から我々に伝えてくれた貴重な文化遺産であることを忘れ、武術が内包する教育的機能を見逃しております。
 私たちは以前から武術は体育には属しているが、体育よりも高度な内容を持つものであると発言してきました。現状では、武術は常々ある種の簡単な体育項目、たとえばバスケットボールや陸上競技と同等としてとらえられ、中国の特色ある民族体育形式にある内包された文化面は忘れがちになっています。


 私は大多数の中国人が多かれ少なかれ武術に対する思い入れを持っていると思います。それは「尚武」(武を尊ぶ)という人の魂を揺さぶる崇高な精神であり、これは中国の歴史上、また武術文化界にとっては欠かすことの出来ない重要な一部分であると思っています。武術人の愛国心と自強不息(自らつとめ励んでやまず、自身を向上させることを怠らないこと)の精神が歴代にわたって多くの中国人を成長させてきました。我々が今日指導する広大な青少年の重要な教育目標の一つにもなっています。しかし実際には長い間この一点を我々は軽視してきたというのが現状です。


 この十年以上、多くの関係者は競技武術として金銀のメダルを奪取することに重点をおいてきました。小中学校の武術競技大会の得点は、そのまま体育大学武術課入試のための試金石になり、それが現在の競技武術の発展を推進してきました。


 私どもは、大学の博士課程の学生が上海のいくつかの小中学校に対して行った武術普及活動を二年間にわたって考察しました。結果、小中学校の武術の競技化傾向が著しく高くなっていることが分かりました。
 いくつかの小中学校の指導者は、学校が行う武術の目的は競技武術の選手の育成である、とはっきりと表明し、また私たちの大学が行っている少年体育学校はそのひとつのモデル校であるとみなしています。

南山積翠図軸


 このように学校教育の中で武術文化を伝承し、民族精神を高揚しようという営みは現在、絵空事のようになってしまっています。国内外の武術界の専門家や学識経験者は、競技武術を推し進める中で中国文化の淡白化か明らかに進行していることが分かり深く憂慮しています。


 私たちは競技武術が長年にわたって成し遂げてきた成果を否定しません。ただ現在の競技武術では、伝統武術の持つ豊富な民族の特点と内包している文化を表出しづらくしているのではないかと懸念しているのです。


 世界の文化間では多元的な競争時代にあり、伝統武術も少なからず非物質的な文化遺産と同じように伝えることの難しいものになっています。老拳師たちが生死を賭して受け継いできた伝統を伝えることが出来なくなっています。現代の競技武術では「高・難・美・新」という四文字に代表されるような要求が追求されています。これが小中学校の武術学習から大学校の武術科まで取り入れられています。武術の精神を重んじた身体運動を実施することで青少年の民族精神を高揚させようという伝統文化、これを教育の中で伝承し完成させてゆくという方法がなくなっているのです。


 中国国内をみると、韓国のテコンドー、日本の空手道、インドのヨガなどの外来体育が都市の体育市場を占領している感があります。私たちは外来文化を拒絶している訳ではありませんが、自身の伝統を取り逃がし自身の民族文化を軽視することはしたくはありません。


 テコンドーは中国の小中学校の体育科目に進入することに積極的で、いま必修科目になろうとしています。空手道もまた2012年のオリンピック種目化を推し進め、中国国内には続々と空手道場が建設されています。このような状況の第一の責任は我々武術界にあり、オリンピックに適応できる整合性を持つことができないまま学校・大学・大衆へ単純に対応し、競技武術のモデル化を推し進めた結果、今日の学校武術の正常とは言えない局面を生みだすことになったのです。


 もしもわが国の青少年がこれらの外来体育文化をみな取り入れることになり、この状態が統いたとしたら、それはおそらく私達体育人と武術人がこの歴史的責任を負わなければならないことになるでしょう。


 ここに一人の武術工作者として、政府が武術の文化を内包した教育機能を重視し、人々が長い間おこなってきた偏った競技武術的傾向を改め、方向を転換することを切に希望いたします。組織的には、政府が伝統文化教育研究グループを立ち上げ、文化局・科教委・体育局の三部門が協調して各部門の作用が発揮できるようにすることを希望します。
 文化局は武術の非物質的文化遺産保護の面を重視して伝統武術伝承中の後継者問題を解決し、教育委員会は学校武術の改革と試行する問題点を重点的に解決し、体育総局は社会に積極的に大衆武術を椎広して争いのない平和な社会に適応した組織機構を促進していくよう希望します。


 全てはここから始まっていったのではないかと私は感じています。昨年の9月、宋儀橋副主席が主催する「青少年への中華武術伝承に関して」の提案会が招集されました。その後にまた宋副主席は『上海精武体育会』と『上海体育学院』での調査研究にご出席をいただきました。また私が指導する博士課程の学生が国内の権威ある武術雑誌『中華武術』に、この問題に関する原稿を寄稿し発刊されたことから、社会と武術界に大きな反響を引き起こしました。上海は国際化する大都市で外来文化は市内の主要な空間を占拠しようとしています。政府のリーダーは今、物事に見通しの効く立場から伝統文化にも心を注いでいただき、青少年の教育問題と武術発展に関わる諸問題に注意を注いでいただくことは、非常に尊い行為になることと思われます。しかし私達は真正な武術教育が本来の姿を取り戻して行くためには、人々の武術への認識が深まり変わって行くことが重要であり、そのためには多種多様の働きかけを今後とも続けてゆく必要があり、そしてその道のりはとても長く険しいものになると考えています。

以上 沢谷 進 拙訳

「太極拳の道」へもどる

トップへもどる