「動之則分」
日本武術太極拳連盟理事 北海道武術太極拳連盟理事長 小平 孝夫


 2005年秋、北海道日中友好センター太極拳部会の札幌太極拳学習会開設30周年を記念して北京の王幼復老師から王宗岳の「太極拳論」の冒頭の一節“太極者無極而生動静之機陰陽之母也。動之則分、静之則合。無過不及随曲就伸”の一文を先生自ら揮毫した掛軸を頂戴した。筆者にとっては身に余る光栄である。


徐悲鴻


 2007年1月筆者が北京を訪れた時には、恥ずかしながら筆者も王宗岳の「太極拳論」の上記の続きの一文“人剛我柔謂之走、我順人背謂之黏。動急則急應、動緩則緩随。雖変化万端、而理唯一貫。”を軸装して返礼としてお贈りした。その太極拳論の「動之則分」の日本語の読み下しは私の知る限り、殆ど「動すれば則ち分かれ」と訳されている。この事については2006年1月16日付けの北海道日中友好センターの会報“星々報”第157号3Pに詳述してある。


 「動すればすなわち分かる」とは「動けば分かれる」の意だがこれでは解らない。すなわちの字“則”を“即”と取り違えて理解しているのではないか? 


この度我が意を得たりと膝を打つ事を見つけた。中国で発行(現在は日本で印刷)している「人民中国」2008年12月号70P太極拳よもやま話第11話武式太極拳の「起承間合」の記事の中に武式太極拳は清代初期の王宗岳による『太極拳論』を尊崇することを紹介している。


それによると、陰陽の道とは「動はすなわち分であり、静はすなわち合である」。「動」とは開、つまり変化であり、力の動きである。「静」とは帰納、つまり力の凝縮である。…と書かれてある。この記事を取材し、発表したのは人民中国雑誌社の魯忠民記者であり、もちろん日本語で書かれているが、太極拳の専門家ではない。内容を語ったのは武式太極拳の継承者“赤+オオザト月如”の曾孫にあたる人で胡鳳鳴老師(1949年生れで奇しくも筆者同年)。


 解らなければ百年たっても出来ない、下手はやがて上手になる、間違いは百年たっても間違っている。理論が解れば、最初は出来なくても、稽古を積めばいつか出来る日が来る。「動之則分」動イコール分、つまり“分かれなければ動かない”と理解出来た時から筆者の太極拳は変って来て、今に到る。…
 そしてその延長上に楊澄甫の「太極拳十の要訣」の十番目“動中求静”に繋がると理解している。


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